やっぱり避けて通れなかった。
2004年 09月 08日
暗い気持ちは昨日まで。
切り替えてやっていきましょう。
あ・・・、今日仕事だった_| ̄|○
(閑話休題)
鰺ヶ沢に台風が上陸しましたね(違)。
というわけで、
くげさんがBLOGで高校生クイズについて
述べられているのでそれに触れつつ、話をまとめていきましょう。
(また、引用しつつ語ってくださるでしょうから)
高校生クイズ、今年のものに関しては昨日、
じゃす様、くりすんとともに話していました。
でぃーど的には5段階評価で「4」は十分につく代物だったと
思っています。もちろん「良」です。
(去年が別の意味で強烈だったという反動からくるもの
なのかもしれませんが。ぱんださんが述べられてるとおり
去年の編集はすさまじかったですからねぇ。)
私は今回の高校生クイズに対して「雑学知識一辺倒」のクイズ
だけではなく「高校生なりの柔軟さ(若いながらの頭の柔らかさ)」を
重視して、番組のコンセプトを組んだ、ととらえています。
ですが、旧来の高校生クイズのスタイルは
福留さん時代の「青春・燃えているか」型=「1問失格(1問の重み)重視」
→高校野球風青春重視システム。
(まぁ、私もこれに感動覚えたタイプです。留さんの浪花節はひと味違う)
福澤さん時代の「高校生との対話重視・ファイヤー」型
=「チームワーク・コミュニケーション重視」
→18回全国準決勝の「15問先取シャッタークイズ(間違えると電話して
あるフレーズを言ってもらわなければならない)」や第19回準決勝の
UPDOWNオールリセットクイズ(全員5問連続正解)などに代表される
(と、勝手にでぃーどが思ってるだけ)
なんですよね。で、どこかに共感を覚えたり、感動したところに
クイズ好きなみなさんはひきづられてしまうんだと思うんです。
1問に笑い、1問に泣く。
それはテレビ的「視聴率」としても(今回は11.4%)、
高校生の「思い出」としても、もはや苦しいのでしょう。
高校生クイズ関連の掲示板やその手の日記を見ても
「○○を生で見た」とか「ラルフとツーショットで写真撮った」とか
ミーハー魂の固まりかよ!Σ( ̄□ ̄;)という書き込みも少々見られたり
しましたし、私自身がもし今の高校生だったら「クイズ」重視ではなく、
そういうところに心を引きつけていたと思います。
だって、それだけ雑学知識に(当時は)自信があったわけではないから。
今でこそ、年齢の蓄積と共に雑学的知識も増加しています。
ですが、高校時代を顧みて「知力で高校生クイズを制覇してやろう」
って思って参加してたひとがどれだけいたのかなぁと思うのです。
「知力・体力・時の運」(ウルトラクイズ的フレーズ)、私は体力と時の運
に賭けていたタイプだったのです。だからこそ、今でもこんなフレーズが
ネットクイズ参加時にでもすぐ口をついて出てきます。
「分かる問題が出ますように…」
最終的にはここに落ち着くと思うんですよ。
IzayoiさんがBLOGでおっしゃったように、
「シビアさを求めたくなる瞬間」があります。それは「運」という要素がほぼ
排除された紛れの起こりにくい(知力通りに決まる)ものであるだろうから。
しかし、現実として、今の時代はきっと
「シビアさを追いかけて、高校生をひっぱるというのは苦しい時代。」
であると思います。ならば、せめて参加する高校生は思い出としてでも
「クイズを通して、○○い思いができた」といって彼らが帰ってくれば
それでいいのではと思います。視聴者はそれを追体験する、それで
いいのではないかと。(ここらへんは「視聴者が楽しめないものは
高校生クイズではない」という意見に対する反発です。○○いには
彼らなりの形容詞が入ってくるでしょう。悔しいでも、楽しいでもなんでも)
「どうでしょう」と話をリンクさせると、どうでしょうは旅をする4人と
ともに旅をしている「感覚を味わう(追体験する)」ことに私はおもしろさや
楽しさを感じてるんで、そういう感覚で見ています。
高校生クイズも、ウルトラクイズもそういう意味での「視聴者参加番組」
なんだととらえるのは虫が良すぎる話なんでしょうかねぇ・・・。
私は「知力(知識量)=クイズ」と信じて、己を鍛えてきました。
(高校生クイズ3年連続1問目敗退、っていうところから)
現在は柔軟性の必要なクイズに全く対応出来ていません。
(かずなさんとこのクイズの私のやられっぷりたるや_| ̄|○ )
そういうクイズに強い人を尊敬します。
尊敬すると共に・・・いつか追いつきたいと思っています。
それこそが「クイズに対する私の姿勢」なのです。
(追記)
昨日、集まった7人の友人(クイズには普段全く触れていない)
相手にクイズを(早押し機を使って)400問出しました。
彼らは口々に「押し負けた悔しさ」「押し勝ったうれしさ」
「答えられるうれしさ」「答えられなかった悔しさ」を
言ってました。何か、新鮮な気持ちを味わったのでした。
んじゃあ、仕事してきます_| ̄|○ <ぎりぎりまで書いてた。
切り替えてやっていきましょう。
あ・・・、今日仕事だった_| ̄|○
(閑話休題)
鰺ヶ沢に台風が上陸しましたね(違)。
というわけで、
くげさんがBLOGで高校生クイズについて
述べられているのでそれに触れつつ、話をまとめていきましょう。
(また、引用しつつ語ってくださるでしょうから)
高校生クイズ、今年のものに関しては昨日、
じゃす様、くりすんとともに話していました。
でぃーど的には5段階評価で「4」は十分につく代物だったと
思っています。もちろん「良」です。
(去年が別の意味で強烈だったという反動からくるもの
なのかもしれませんが。ぱんださんが述べられてるとおり
去年の編集はすさまじかったですからねぇ。)
私は今回の高校生クイズに対して「雑学知識一辺倒」のクイズ
だけではなく「高校生なりの柔軟さ(若いながらの頭の柔らかさ)」を
重視して、番組のコンセプトを組んだ、ととらえています。
ですが、旧来の高校生クイズのスタイルは
福留さん時代の「青春・燃えているか」型=「1問失格(1問の重み)重視」
→高校野球風青春重視システム。
(まぁ、私もこれに感動覚えたタイプです。留さんの浪花節はひと味違う)
福澤さん時代の「高校生との対話重視・ファイヤー」型
=「チームワーク・コミュニケーション重視」
→18回全国準決勝の「15問先取シャッタークイズ(間違えると電話して
あるフレーズを言ってもらわなければならない)」や第19回準決勝の
UPDOWNオールリセットクイズ(全員5問連続正解)などに代表される
(と、勝手にでぃーどが思ってるだけ)
なんですよね。で、どこかに共感を覚えたり、感動したところに
クイズ好きなみなさんはひきづられてしまうんだと思うんです。
1問に笑い、1問に泣く。
それはテレビ的「視聴率」としても(今回は11.4%)、
高校生の「思い出」としても、もはや苦しいのでしょう。
高校生クイズ関連の掲示板やその手の日記を見ても
「○○を生で見た」とか「ラルフとツーショットで写真撮った」とか
ミーハー魂の固まりかよ!Σ( ̄□ ̄;)という書き込みも少々見られたり
しましたし、私自身がもし今の高校生だったら「クイズ」重視ではなく、
そういうところに心を引きつけていたと思います。
だって、それだけ雑学知識に(当時は)自信があったわけではないから。
今でこそ、年齢の蓄積と共に雑学的知識も増加しています。
ですが、高校時代を顧みて「知力で高校生クイズを制覇してやろう」
って思って参加してたひとがどれだけいたのかなぁと思うのです。
「知力・体力・時の運」(ウルトラクイズ的フレーズ)、私は体力と時の運
に賭けていたタイプだったのです。だからこそ、今でもこんなフレーズが
ネットクイズ参加時にでもすぐ口をついて出てきます。
「分かる問題が出ますように…」
最終的にはここに落ち着くと思うんですよ。
IzayoiさんがBLOGでおっしゃったように、
「シビアさを求めたくなる瞬間」があります。それは「運」という要素がほぼ
排除された紛れの起こりにくい(知力通りに決まる)ものであるだろうから。
しかし、現実として、今の時代はきっと
「シビアさを追いかけて、高校生をひっぱるというのは苦しい時代。」
であると思います。ならば、せめて参加する高校生は思い出としてでも
「クイズを通して、○○い思いができた」といって彼らが帰ってくれば
それでいいのではと思います。視聴者はそれを追体験する、それで
いいのではないかと。(ここらへんは「視聴者が楽しめないものは
高校生クイズではない」という意見に対する反発です。○○いには
彼らなりの形容詞が入ってくるでしょう。悔しいでも、楽しいでもなんでも)
「どうでしょう」と話をリンクさせると、どうでしょうは旅をする4人と
ともに旅をしている「感覚を味わう(追体験する)」ことに私はおもしろさや
楽しさを感じてるんで、そういう感覚で見ています。
高校生クイズも、ウルトラクイズもそういう意味での「視聴者参加番組」
なんだととらえるのは虫が良すぎる話なんでしょうかねぇ・・・。
私は「知力(知識量)=クイズ」と信じて、己を鍛えてきました。
(高校生クイズ3年連続1問目敗退、っていうところから)
現在は柔軟性の必要なクイズに全く対応出来ていません。
(かずなさんとこのクイズの私のやられっぷりたるや_| ̄|○ )
そういうクイズに強い人を尊敬します。
尊敬すると共に・・・いつか追いつきたいと思っています。
それこそが「クイズに対する私の姿勢」なのです。
(追記)
昨日、集まった7人の友人(クイズには普段全く触れていない)
相手にクイズを(早押し機を使って)400問出しました。
彼らは口々に「押し負けた悔しさ」「押し勝ったうれしさ」
「答えられるうれしさ」「答えられなかった悔しさ」を
言ってました。何か、新鮮な気持ちを味わったのでした。
んじゃあ、仕事してきます_| ̄|○ <ぎりぎりまで書いてた。
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by banijya
| 2004-09-08 15:16
| クイズよもやま話