CONNECT.
2007年 09月 25日
オフ会。
人数が増えすぎると幹事としては収拾がつかなくなるからイヤだ、
という思いも少なからずあるのですが、私自身はそういうことを
今回は考えられなかったようです。
というより、大人数であろうと、気心の知れた
メンバーならば、もうどうしようもないぐらい楽しいもの
になってしまう、ということはよくわかったように思えます。
8月23日(木)・24日(金)・25日(土)・26日(日)・27日(月)。
今年の八月末は怒濤の週末でした。
前々日8月23日(木)、午後1時35分。
腎臓結石を発症した私は終日のたうちまわっていました。
救急車で運ばれ、点滴を2本・痛み止めを2本打たれた
みたいなのですが、あまり記憶がありません。
この日に追い込んで製作しようと思っていた記事や、
用意していたしおりも半分しか仕上げられず、
この点に関しては今回の
オフのなかでもっともくやしい部分となりました。
次回は必ずリベンジです。はい。
2日分のしおり、そして今回見せきれなかった部分を必ず。
8月24日(金)。前日泊。
この日はホテルを押さえていました。
予定では、私は授業をこなしたあと、
大量の荷物を持って駆けつける
というシナリオを用意していたのですが、昨日の腎臓結石の影響からか
発熱してしまい、仕事はキャンセル。安静できるだけ安静にして、
午後7時、印刷できたしおりだけをもって、なんとか
回らない頭で宿泊地へ。前乗りしてもらったメンバーにはほんと
申し訳ない思いでいっぱいです。
このリベンジも次回必ずやろうと思います。
かならずツインベッドで(何
いざとなったら、私はダブルベッドでだれかと寝ます(何
というか、抵抗しないメンバーが多すぎる(w
ウィーアーオールメンであれだけ盛り上がれる「どうバカ」の
友達を持ちすぎて、私はしあわせです(苦笑)。
8月25日(土)。じゃすみい邸片づけ。
朝、くりすんがじゃすさまの家の扉を一旦開いて
我々の姿を見て、閉めたところから(笑)
すべてははじまりました。ゴミ袋、全部で52袋。
さっとんとだいちゃんと番長さんがくくった本の山、18個。
あとは筆舌に尽くしがたい空間でした。
途中合流のメンバーを迎えに行って、
thomaくん、池藤くん、コサックくん、きっどん、
じゅにちんプロが合流。そして、この日のメイン、
仙台勢ドッキリを敢行、ということでひでぽんさんが
出現(゜▽、゜)。くげさまは首締めとローキックを
いっぱい入れてました(w
そんなメンバーをひきつれてのお掃除、なのですが
私は、全く本調子ではなく、あまり活躍は出来ない状態でした。
2階で大汗をかきながらがんばるメンバーや、
1階で奮闘するメンバーを目にしつつ、
動ける範囲でちょこちょことがんばっていました。
途中、八尾のコーナンまで自転車で買い出しに行った
(^▽^)プロを心配し続ける時間帯もありました。
「じゅにちんプロはじゃすさまの自転車で買い出しに行ったから、
あやしいと職務質問されて、捕まってしまったから、
誰か救出しにいってこい!」などなど、
勝手に脳内クロノスが展開されていました。
撮影した動画には汗をふきふきするじゅにちんプロの映像が
残っています。
ある程度の目処(床が見えたり、荷物が減ったり)
がたったところで、看板を二枚かけて終了。
そして、綺麗になった二階(こんなのありえない)で円陣を組み、
今日の夜に何をするか、という悪巧みをみんなに披露。
「あなたは病気の体をおして、何を考えているんだ」という名言も
飛び出す始末。
汗まみれのみんなを後ろから見ながら、私はなんとも言えない
気持ちになっていました。元々はくげさまを訪ねて鰺ヶ沢へ
行ったときに意気投合して話しただけのことなのに、
それがここまでの形になったなんて。
河内山本駅からなんばを経由して、四つ橋線本町駅へ。
すでに着いていたあるたみせんせや、ぱんださんと合流。
ホテルに入りました。ホテルの部屋は3部屋。
どの部屋もとても大きな部屋で、十分満足できるサイズでした。
そして、関シローに行っている4人を待つ間、私は幹事として
動き回りつつ、ビンカン選手権の準備をしていました。
4人を待ったり、モトドンせんせを迎えに行ったり、
観夏さんを迎えに行ったり。
そのさなか。
下腹部に鈍い痛みが走りました。
トイレに駆け込んでみると、腎臓結石が4つほど出ました。
痛み止めを即座に打ち込んで、何とか復帰。
でも、みんなを心配させたくなかったのであえて平然としていました。
目は充血して真っ赤、さらに少し黄色がかっていました。
だから、ビンカン選手権の準備といいつつ、横になったり、
フリップ作ったりを行ったり来たりしてました。
ビリーをやるだけの体力も、音に反応できるだけの
瞬発力もないくらい、痛み止めを打ち込んだ後は死んでいました。
だからあの日はほとんど食事もとれていません。
横になりつつ、ウィダーインゼリーやポカリスエットで
なんとか栄養補給してました。
(隣の部屋のくげさま企画のイントロを脳内で答えながら、ですが)
だいちゃん企画が始まるときに、なんとか大量の目薬をさして
一応眼球だけは復活。それでも、正直ギリギリの状態でした。
だいちゃんの「ここまで出てるのに」企画では
立っているのがしんどい状態だったらしく、
記録していたビデオでは私はゆったりと
座って参加、という状態でした。動画を見ると
「早くも疲れてます。しんどいー(><)」って
弱音吐いてますし。平野綾が出てこないぐらいダメな状態でした。
というかボケも浮かばないぐらい(w
元々二時間押しでスタートした予定企画。
途中、じゃすさま・くりすんを「うそくサライ」で迎えたり
とかいろいろありましたが、時間は押しに押し、という形になってました。
当日用意してもらっていたひでぽんさん企画と
くげさまの第二企画は翌日回しとなり、
この日の最後はビンカン選手権。
大あわてでさっとんと二人で着替えました。
さっとんもメイド服に5分で着替え、メイクをするという荒業。
わたしも、慌てて耳をつけました。
今回は実質的にさっとんと二人でやる初めての開催。
さっとんの気合いの入りっぷりに、ほんと助けられたなと思ってます。
結果的に、なのですが、私の状況は
ビンカン選手権は初めからサングラスをかけることを決めていたので
結果的に、充血した目を見られることもありませんでした。
みんなの視線がさっとん(メイド服)にいっていたのも幸いしました(笑)。
さっとんかわいいよvv(にゃあにゃあ)←みんなの本音。
というわけで、あとでシャロンさんも現れたりしました(゜▽、゜)
ハイエルフ・メイド・シャロンそろい踏みでした。
次回はさっとんと二人でメイド服を着ようと思います(何
一企画(くげさま企画)分をまるまるとばして、必死に準備してましたので、
まぁそれなりになまなましいビンカン選手権になったと思います。
まだまだひどいネタは思いつくと思うので、
次回もさっとんとがんばって考えますよ。
最後はだいちゃんが200点のビンカンを当てて終了。
この日はここまで。
私はまだまだ本調子ではなかったのですが、とりあえずシャロンさんを
お招きして少しだけクイズを楽しんでいただき、就寝。
シャロンさんとぽえぽえしながら寝ましたヽ( ※ ̄▽ ̄※)ノ
翌朝。
関西クイズ愛好会に出かけた(゜▽、゜)せんせ、
サッカーの審判に出かけたモトドンせんせと別れて上本町の第二会場へ。
会場前最寄り駅にて、hくん・ヤマハンくん・ヤンマーさんと合流。
(でぃーどは隠れていました。だって生徒と遭遇したらダメですし)
ヤンマーさんとは2回目の遭遇。hくん・ヤマハンくんとは初遭遇。
はい、みんないきなり3人にプレッシャーをかけない(笑)。
会場となったホテル・ライブアーテックスの1階会議室は
・・・上六印刷の1階でした(笑)。
若干手狭ではありましたが、変な一体感が生まれるいい空間でした。
第一企画はE駒くん企画。
ここはペア戦。トランプの数字でくみ分け。
3枚のこったカードをさっとん→でぃーど。→観夏さんの順にひく。
さっと。 「せんせー、なんばん?」
でぃーど。「ハートの6~」
さっと。 「(^▽^)(スペードの6)」
というわけで、こんなところでも変な引きを発揮(w
ここでもすでに柱、といっていいのか分かりませんが
さまざまなものが降りまくりでした。
「5番・6番酷い!」というじゃすさまのことば通り、
5枠(きっどん・ヤンマーさん)、6枠(さっとん・でぃーど。)が
ペア結成していたり、hくんがひいたトランプで
「ぱんみな」夢の対決が実現したり、
3連答クイズの問題がなぜかなくなっていたり、
観夏プロのボード芸が炸裂したり、と。
あ、そうそう。
やっぱり、さっとんと組んだということもありまして、
そのままの勢いでE駒くん企画は勝ってしまいました(^▽^)
さすがはシンクロ率120%の二人でございます。
続いて、私のヘキサゴンペーパー。
私は今回、この会場に来られなかった皆さんに
5問ずつ問題をお願いしていました。
Goさん、ますたあさん、yoheiくん、SAKUさん、ともともさん、
刃くん、(T)さんの7人の5問、そして私の15問で50問を15分。
会場からは「ひでぇ」「ひでぇ」「ひでぇ」の連発。
そんななかせんりんがぼそっと一言。
「おかしいなぁ、SAKUさんが優しい人に見える(w」
ヘキサゴン組み分けも終わり、まずはPKクイズ。
ここでは、プロ枠の3人が大爆発。
観夏プロ、じゅにちんプロ、コサックプロは
3人とも10ポイントをげっとしてました(w
ほんと外さないなぁ、ボケも解答もこの3人は(w
そして、行列早抜けリレークイズ。
ピンクチームのリーダー、E駒くんが大苦戦する中で、
緑チームが早々にリーチ。そしてじゅにちんプロが勝ち抜けで確定!
十二分に楽しませてもらいました。
そしてせんりん企画。10分1セットがあんなにも短いとは。
とりあえず、この部分は私はほとんど押せてません(w
じゃすさま企画。「じゃすみいのナンでもダービー」。
賭け金もさることながら、どこに賭けに行くかが問題。
というか、全部6枠が絡むって何(w
メインレース「じゃすみい杯7○3×グランプリ」については
私は振り返りません_| ̄|○
最後は、さっとん、くげさま、でぃーど。のプチ企画。
「SAKUGE」ならぬ「SAKUDE。」を行いました。
またの名を「第2.5回B-1GRANDPRIX」なのですヽ(  ̄▽ ̄)ノ
ここでは、さっと。予選、くげ予選、でぃーど。予選で
3人ずつ選出。プラス敗者復活で3人。12人にしてそこから
再びさっと。問題・くげ問題・でぃーど。問題・ノーマル問題(ガワさん
の問題の過去問を拝借。ただし、E駒・クリスの二人が
参加してないときのものを使用)で決勝行きへ4人をしぼり、
4人から1人の優勝者を選ぶ、としたのですが。
決勝に残った人間の年齢が
「26歳」「30歳」「30歳」「28歳」って何_| ̄|○
hくんとかヤマハンくんはさっと。予選に照準を合わせていて
結果的にここでメタボなひでぽんさんに粉砕されました(苦笑)。
優勝はそのメタボなひでぽんさんでした(゜▽、゜)
ラストはそのまま表彰式からエンディングロール。
3人で企画をやる、と決めたときからこの流れで行こうと
私が思っていた流れでした。
人と人とをつなぐ。
それが出来ただけでも、今回のオフ会は私にとって一定の成果があったと
言える物であったと思います。
元々はじゃす様のおうちを片づけるというのは正直、副次的なもので
そういう目的をダシにして、みんなが集まれる機会を設けるというのが
今回のオフのメインであったと思っています。
ネットクイズの世界では、普段、みんなは一人ひとりPCの前で
孤独な戦いを続けています。オンラインであり、オフラインであり、
様々な気持ちが渦巻く中で、笑ったり、泣いたり、喜んだり、悲しんだりと
一喜一憂する日々を過ごしているわけです。
たとえば、青森の奥地に住むくげさまが関西に出てくるときというのは
交通費だけでもいくらかかっているのかというレベルです。
同じことは仙台のひでぽんさんやthomaくん、そして今回は首都圏から
hくんやヤマハンくん、新潟からはさっとん。
中京圏からぱんださん、観夏さん、ヤンマーさん、中四国から番長さん、
だいちゃん、コサックくんともう多岐にわたる人々が来てくださいました。
それも、表向きはじゃすみい邸を片づけるという
ただそれだけのために(w
(オフ会は付随的なものでしたからね)
正直、このつながりはずっと大切にしたいな、と思っています。
心地よい空間が出来たな、と思っています。
私自身は病をおしてでも、行って良かったなと思っています。
幹事は1回限りのつもりでした。
うちのいもーとがエンディングであんなことをいうまでは。
さっと。「えー、次回開催は来年の1月となっております(^▽^)」
その時の動画が、今、私の手元にあります。
代表幹事・副幹事・名誉幹事はその瞬間、(⌒▽⌒)と笑っていたのです。
そして、ひでぽんさんがまわしてくださったカメラに映るみんなも(⌒▽⌒)と
笑っていたのです。
前日から、そうだったんです。
幹事や企画担当者にいたっては前々日からそうだったんです。
祭りの前の高揚感。
みんな、ずっと何かのスイッチが入ったかのように、笑いっぱなしでした。
PC前での孤独感が、同じものを趣味とする「連帯感」に変質した瞬間だと
私に思わせる瞬間でした。
最後、締めの挨拶をしているとき、私はずっと泣きそうでした。
ことばに詰まりそうにもなりました。
でも、なるべくそういう姿を見せないようにして、平然を装いました。
きっと、私がいちばん、そういう連帯感を求めていたのかも知れません。
そして、それがいちばん実感できる立場にいたのかも知れません。
そういう変な物の押しつけにはしたくなかったのですが、
なんだかそれを強く思わざるを得ませんでした。
わたしの隣にさっとんとくげさまがいて、前にみんながいる。
プロのみなさんが持ち味を出して、それをみんなでツッコンで、笑って。
早押しに手がしびれて、脳をフル回転させて、そして楽しむ。
隠し味のじゃすさまのしょんぼりまで含めて、これが
「関西ネットクイズ愛好会」なんだと。
そのあと、ラーメン屋さんで打ち上げ。
ビールをしこたま呑む仙台勢。
そんなめんばーに囲まれたhくんやヤマハンくん。
そして、今後の人生をどうするのか、ということを真剣に
話し合っていた私とくりすん(苦笑)。
いやはや、これはこれで生々しかったです(w
ぱんださんと観夏さんはここでお別れ。
二人が最後に私に言った一言が今でも忘れられません。
「一日足りませんでした(^▽^)」。
幹事一同からすればこれ以上ないくらいのおことばでした。
ゲームセンターの前で、ヤマハンくん・hくん・
番長さん・私・池藤くんの5人でまじめなはなし。
若い世代とのつながりは今後も大切にしたいものです。
ヤマハンくんをなんばへと送り出して、みんなでホテルへ帰還。
ヤマハンくんもhくんも学業とクイズの両立を
がんばってほしいな、と。
(せんせーらしい発言を一つ。ちなみに私は
そんなこと、学生時代は出来ませんでした(゜▽、゜))
ド素人は卒業、初心者卒業は、なるべく早くがんばってね。
かさいねぇさんともども、初心者から「本格派」の襲名式を
やりたいものです。
hくんは実力は十分あるので、あとはタイミング一つでしょうね。
全体的に指が遅いネットクイズ屋メンバーに指で負けなければ
かなり戦えるはずです。私はE駒くん企画の時に
「ジャイアントキリング」されないかと冷や冷やしてました(汗)。
ホテルにて。
その日の夜、マッサージチェアで「ぁぅぁぅっ」と
次々に悶えるみんな(くげさま・番長さんなど)をみながら、
ぼんやりと様々な思いに浸っていました。
この日は痛み止めの必要がない一日でした。
いや、そういうものを考える必要がないぐらいの日だったの
かもしれません。それぐらいの日だったのです。
夜は夜で、ひでぽんさん企画とくげさま企画。
さらに、さっと問題とでぃーど。問題の供養。
さらにさらに、hくん問い読みのフリバが夜が明けるまで続いていました。
神はずっと、舞い降り続けていました。
笑いの神様と、薄い確率を見せ続けてくれる女神さまが。
時が永遠に続けばいいのに、という感覚が
みんなに永遠に残っているかのように。
大阪の地にたくさん舞い降りてくれていたように思います。
あれから1ヶ月経ちました。
まだ、その余韻が残り続けています。
thomaくんは日記で「できればずっと現実に戻りたくない、
時間が止まってほしい、それぐらいの気持ちです。」
と記していました。
ぱんださんは同じく日記で「でまぁ、
このオフ会に参加して、やはりサイトを続けたい
思いが相当強くなりまして。」という風に、
サイト続行の意志を固める一つのきっかけとなったようです。
幹事一同、大きくガッツポーズでしたヽ(  ̄▽ ̄)ノ
みんなをつなぐのが私の役目です。
そんな風に今は思っています。
楽しいから、というものだけでは
すまされない何かをまた味わいたいな、と思っています。
でも、本音を言わせてもらえば・・・
こんな集まり、一回きりで終わらせられるわけないじゃないか。
そこでひとこと。
また、やるよっ。
次は来年の2月アタマに。
今回来られなかったメンバーのネームプレートと
ふとんを用意してまた、待ちかまえようと思います。
今回来ることを予定していたのに来られなかった
らっとんの分のネームプレートはそのまま
おいてあります。次は大丈夫だよね?
オフの間、くげさまはずっとSAKUさんのことを
気にかけていました。やっぱり、かつてのことは
トラウマになっているようです(w
SAKUさんは今、ものすごく忙しいモードの
ようですが、いつかまた落ち着いたら来てくれると
思っています。それまではずっとやり続けますよ。
「SAKUさん一家が実はこのホテルに泊まっている」
「ビンカン!」
ってやれる日まで(゜▽、゜)。
ぱんださん。
今回は、ぱんださんと観夏さんが来るから、という
理由で参加を表明していたメンバーも何名かいました。
観夏さんにはボケ職人枠的な役割を本人の意識に
構わずともお願いする形になりましたが、私自身は
「名古屋にもこういうのがほしいなぁ」とおっしゃった
ぱんださんのことばを噛みしめつつ、
「ないからこそ、こっちでまた楽しんでくださいね(^▽^)」
って言っておこうと思います。サイト続行の決定も
ありますが、
「次回ありましたら、できるだけ参加しようと思います。
本当にありがとうございました、そしてお疲れ様でした(^^
そして大事なこと。これからもよろしくお願いします(^^」
この3文もとてもうれしく思えたものです。はいっ。
ちなみに、だいちゃんはだいちゃん企画でぱんださんが
優勝、となったときにガッツポーズしてました(w
ヤンマーさん・観夏さん・ぱんださんなど中京勢が
次も来てくださると信じております。はい。
そして。
ヘキサゴンでペーパー問題を協力していただいたみなさん、
本当にありがとうございました。正答率、並びにボケ解答は
近日中に、だいちゃんが製作する予定の
「関西ネットクイズ愛好会」HPに
昔懐かしのじゃすさまの「ヘキサ10」方式で
掲載する予定です(w
さらに、「あの日生まれた言霊たち」も
まもなく完成します(w といいますか、現時点でも
すでにとんでもないサイズになってます(汗)。
また、今回参加いただいた皆さんには
動画の編集が完了次第、あるサイトにてその動画を
公開します。(すでに静止画は公開していますが(゜▽、゜))
動画をばりばり編集して、
「じゃすみい邸・大清掃!劇的ビフォーアフター」
「関西ネットクイズ愛好会旗揚げ前夜祭」
「関西ネットクイズ愛好会旗揚げ&解散コンサート」
「関西ネットクイズ愛好会旗揚げ後夜祭」
の4本立てで、必ず日の目を見させたいなと思ってます。
副音声は、まぁ、考えます(w
今回は各方面から、たくさんの声をいただきました。
「次回は参加したい」というみなさん。
腕とネタを磨いておいてください。
空気が読める人なら、私たちは拒みません。
ただし、みんなで前向きに事を運びたいな、
とは思っています。奇妙な一体感しか在りませんけれど(w
せんせー、と呼ばれる人が何人かいますから、
そこらへんはうちの団体はキビシイかもしれませんよ(^▽^)
あ、そうそう。
次回は掃除はないと思いたいです、はい(笑)。
でぃーど。邸掃除オフは絶対にさせませんからね(w
今や、丸まってすぴーすぴー、と寝るのが特徴の
さっとんが寝られるスペースすらもありません(爆)
以上のように、
関西ネットクイズ愛好会は正式に発動しました。
一度解散しましたが、もう、副幹事さっとんは
某オープンの所属をそれにして活動しています(w
NEXT。
今の我々にあるのは、それだけです。
次も、その次も。
日々、毎回、やれるだけのことはやりたい。
そして、私には新たな夢が出来ました。
いつか、関東上陸の東上戦をやれたら、と思います。
部屋の中に階段がある、
多人数が泊まれるホテルが見つかったならば(w
大量の衣装とさっとんとじゃすさまを連れて
東京遠征します。いつか、必ず。
今回は本当にありがとうございました。
DVDは完成してからさわりの部分だけ
YOUTUBEとかに載せたいですね(゜▽、゜)
くげさま企画で、異常に揃ったビリーの動きをしている
じゃすみい&池藤くんコンビの動画をみながら。
関西ネットクイズ愛好会・代表幹事 でぃーど。
人数が増えすぎると幹事としては収拾がつかなくなるからイヤだ、
という思いも少なからずあるのですが、私自身はそういうことを
今回は考えられなかったようです。
というより、大人数であろうと、気心の知れた
メンバーならば、もうどうしようもないぐらい楽しいもの
になってしまう、ということはよくわかったように思えます。
8月23日(木)・24日(金)・25日(土)・26日(日)・27日(月)。
今年の八月末は怒濤の週末でした。
前々日8月23日(木)、午後1時35分。
腎臓結石を発症した私は終日のたうちまわっていました。
救急車で運ばれ、点滴を2本・痛み止めを2本打たれた
みたいなのですが、あまり記憶がありません。
この日に追い込んで製作しようと思っていた記事や、
用意していたしおりも半分しか仕上げられず、
この点に関しては今回の
オフのなかでもっともくやしい部分となりました。
次回は必ずリベンジです。はい。
2日分のしおり、そして今回見せきれなかった部分を必ず。
8月24日(金)。前日泊。
この日はホテルを押さえていました。
予定では、私は授業をこなしたあと、
大量の荷物を持って駆けつける
というシナリオを用意していたのですが、昨日の腎臓結石の影響からか
発熱してしまい、仕事はキャンセル。安静できるだけ安静にして、
午後7時、印刷できたしおりだけをもって、なんとか
回らない頭で宿泊地へ。前乗りしてもらったメンバーにはほんと
申し訳ない思いでいっぱいです。
このリベンジも次回必ずやろうと思います。
かならずツインベッドで(何
いざとなったら、私はダブルベッドでだれかと寝ます(何
というか、抵抗しないメンバーが多すぎる(w
ウィーアーオールメンであれだけ盛り上がれる「どうバカ」の
友達を持ちすぎて、私はしあわせです(苦笑)。
8月25日(土)。じゃすみい邸片づけ。
朝、くりすんがじゃすさまの家の扉を一旦開いて
我々の姿を見て、閉めたところから(笑)
すべてははじまりました。ゴミ袋、全部で52袋。
さっとんとだいちゃんと番長さんがくくった本の山、18個。
あとは筆舌に尽くしがたい空間でした。
途中合流のメンバーを迎えに行って、
thomaくん、池藤くん、コサックくん、きっどん、
じゅにちんプロが合流。そして、この日のメイン、
仙台勢ドッキリを敢行、ということでひでぽんさんが
出現(゜▽、゜)。くげさまは首締めとローキックを
いっぱい入れてました(w
そんなメンバーをひきつれてのお掃除、なのですが
私は、全く本調子ではなく、あまり活躍は出来ない状態でした。
2階で大汗をかきながらがんばるメンバーや、
1階で奮闘するメンバーを目にしつつ、
動ける範囲でちょこちょことがんばっていました。
途中、八尾のコーナンまで自転車で買い出しに行った
(^▽^)プロを心配し続ける時間帯もありました。
「じゅにちんプロはじゃすさまの自転車で買い出しに行ったから、
あやしいと職務質問されて、捕まってしまったから、
誰か救出しにいってこい!」などなど、
勝手に脳内クロノスが展開されていました。
撮影した動画には汗をふきふきするじゅにちんプロの映像が
残っています。
ある程度の目処(床が見えたり、荷物が減ったり)
がたったところで、看板を二枚かけて終了。
そして、綺麗になった二階(こんなのありえない)で円陣を組み、
今日の夜に何をするか、という悪巧みをみんなに披露。
「あなたは病気の体をおして、何を考えているんだ」という名言も
飛び出す始末。
汗まみれのみんなを後ろから見ながら、私はなんとも言えない
気持ちになっていました。元々はくげさまを訪ねて鰺ヶ沢へ
行ったときに意気投合して話しただけのことなのに、
それがここまでの形になったなんて。
河内山本駅からなんばを経由して、四つ橋線本町駅へ。
すでに着いていたあるたみせんせや、ぱんださんと合流。
ホテルに入りました。ホテルの部屋は3部屋。
どの部屋もとても大きな部屋で、十分満足できるサイズでした。
そして、関シローに行っている4人を待つ間、私は幹事として
動き回りつつ、ビンカン選手権の準備をしていました。
4人を待ったり、モトドンせんせを迎えに行ったり、
観夏さんを迎えに行ったり。
そのさなか。
下腹部に鈍い痛みが走りました。
トイレに駆け込んでみると、腎臓結石が4つほど出ました。
痛み止めを即座に打ち込んで、何とか復帰。
でも、みんなを心配させたくなかったのであえて平然としていました。
目は充血して真っ赤、さらに少し黄色がかっていました。
だから、ビンカン選手権の準備といいつつ、横になったり、
フリップ作ったりを行ったり来たりしてました。
ビリーをやるだけの体力も、音に反応できるだけの
瞬発力もないくらい、痛み止めを打ち込んだ後は死んでいました。
だからあの日はほとんど食事もとれていません。
横になりつつ、ウィダーインゼリーやポカリスエットで
なんとか栄養補給してました。
(隣の部屋のくげさま企画のイントロを脳内で答えながら、ですが)
だいちゃん企画が始まるときに、なんとか大量の目薬をさして
一応眼球だけは復活。それでも、正直ギリギリの状態でした。
だいちゃんの「ここまで出てるのに」企画では
立っているのがしんどい状態だったらしく、
記録していたビデオでは私はゆったりと
座って参加、という状態でした。動画を見ると
「早くも疲れてます。しんどいー(><)」って
弱音吐いてますし。平野綾が出てこないぐらいダメな状態でした。
というかボケも浮かばないぐらい(w
元々二時間押しでスタートした予定企画。
途中、じゃすさま・くりすんを「うそくサライ」で迎えたり
とかいろいろありましたが、時間は押しに押し、という形になってました。
当日用意してもらっていたひでぽんさん企画と
くげさまの第二企画は翌日回しとなり、
この日の最後はビンカン選手権。
大あわてでさっとんと二人で着替えました。
さっとんもメイド服に5分で着替え、メイクをするという荒業。
わたしも、慌てて耳をつけました。
今回は実質的にさっとんと二人でやる初めての開催。
さっとんの気合いの入りっぷりに、ほんと助けられたなと思ってます。
結果的に、なのですが、私の状況は
ビンカン選手権は初めからサングラスをかけることを決めていたので
結果的に、充血した目を見られることもありませんでした。
みんなの視線がさっとん(メイド服)にいっていたのも幸いしました(笑)。
さっとんかわいいよvv(にゃあにゃあ)←みんなの本音。
というわけで、あとでシャロンさんも現れたりしました(゜▽、゜)
ハイエルフ・メイド・シャロンそろい踏みでした。
次回はさっとんと二人でメイド服を着ようと思います(何
一企画(くげさま企画)分をまるまるとばして、必死に準備してましたので、
まぁそれなりになまなましいビンカン選手権になったと思います。
まだまだひどいネタは思いつくと思うので、
次回もさっとんとがんばって考えますよ。
最後はだいちゃんが200点のビンカンを当てて終了。
この日はここまで。
私はまだまだ本調子ではなかったのですが、とりあえずシャロンさんを
お招きして少しだけクイズを楽しんでいただき、就寝。
シャロンさんとぽえぽえしながら寝ましたヽ( ※ ̄▽ ̄※)ノ
翌朝。
関西クイズ愛好会に出かけた(゜▽、゜)せんせ、
サッカーの審判に出かけたモトドンせんせと別れて上本町の第二会場へ。
会場前最寄り駅にて、hくん・ヤマハンくん・ヤンマーさんと合流。
(でぃーどは隠れていました。だって生徒と遭遇したらダメですし)
ヤンマーさんとは2回目の遭遇。hくん・ヤマハンくんとは初遭遇。
はい、みんないきなり3人にプレッシャーをかけない(笑)。
会場となったホテル・ライブアーテックスの1階会議室は
・・・上六印刷の1階でした(笑)。
若干手狭ではありましたが、変な一体感が生まれるいい空間でした。
第一企画はE駒くん企画。
ここはペア戦。トランプの数字でくみ分け。
3枚のこったカードをさっとん→でぃーど。→観夏さんの順にひく。
さっと。 「せんせー、なんばん?」
でぃーど。「ハートの6~」
さっと。 「(^▽^)(スペードの6)」
というわけで、こんなところでも変な引きを発揮(w
ここでもすでに柱、といっていいのか分かりませんが
さまざまなものが降りまくりでした。
「5番・6番酷い!」というじゃすさまのことば通り、
5枠(きっどん・ヤンマーさん)、6枠(さっとん・でぃーど。)が
ペア結成していたり、hくんがひいたトランプで
「ぱんみな」夢の対決が実現したり、
3連答クイズの問題がなぜかなくなっていたり、
観夏プロのボード芸が炸裂したり、と。
あ、そうそう。
やっぱり、さっとんと組んだということもありまして、
そのままの勢いでE駒くん企画は勝ってしまいました(^▽^)
さすがはシンクロ率120%の二人でございます。
続いて、私のヘキサゴンペーパー。
私は今回、この会場に来られなかった皆さんに
5問ずつ問題をお願いしていました。
Goさん、ますたあさん、yoheiくん、SAKUさん、ともともさん、
刃くん、(T)さんの7人の5問、そして私の15問で50問を15分。
会場からは「ひでぇ」「ひでぇ」「ひでぇ」の連発。
そんななかせんりんがぼそっと一言。
「おかしいなぁ、SAKUさんが優しい人に見える(w」
ヘキサゴン組み分けも終わり、まずはPKクイズ。
ここでは、プロ枠の3人が大爆発。
観夏プロ、じゅにちんプロ、コサックプロは
3人とも10ポイントをげっとしてました(w
ほんと外さないなぁ、ボケも解答もこの3人は(w
そして、行列早抜けリレークイズ。
ピンクチームのリーダー、E駒くんが大苦戦する中で、
緑チームが早々にリーチ。そしてじゅにちんプロが勝ち抜けで確定!
十二分に楽しませてもらいました。
そしてせんりん企画。10分1セットがあんなにも短いとは。
とりあえず、この部分は私はほとんど押せてません(w
じゃすさま企画。「じゃすみいのナンでもダービー」。
賭け金もさることながら、どこに賭けに行くかが問題。
というか、全部6枠が絡むって何(w
メインレース「じゃすみい杯7○3×グランプリ」については
私は振り返りません_| ̄|○
最後は、さっとん、くげさま、でぃーど。のプチ企画。
「SAKUGE」ならぬ「SAKUDE。」を行いました。
またの名を「第2.5回B-1GRANDPRIX」なのですヽ(  ̄▽ ̄)ノ
ここでは、さっと。予選、くげ予選、でぃーど。予選で
3人ずつ選出。プラス敗者復活で3人。12人にしてそこから
再びさっと。問題・くげ問題・でぃーど。問題・ノーマル問題(ガワさん
の問題の過去問を拝借。ただし、E駒・クリスの二人が
参加してないときのものを使用)で決勝行きへ4人をしぼり、
4人から1人の優勝者を選ぶ、としたのですが。
決勝に残った人間の年齢が
「26歳」「30歳」「30歳」「28歳」って何_| ̄|○
hくんとかヤマハンくんはさっと。予選に照準を合わせていて
結果的にここでメタボなひでぽんさんに粉砕されました(苦笑)。
優勝はそのメタボなひでぽんさんでした(゜▽、゜)
ラストはそのまま表彰式からエンディングロール。
3人で企画をやる、と決めたときからこの流れで行こうと
私が思っていた流れでした。
人と人とをつなぐ。
それが出来ただけでも、今回のオフ会は私にとって一定の成果があったと
言える物であったと思います。
元々はじゃす様のおうちを片づけるというのは正直、副次的なもので
そういう目的をダシにして、みんなが集まれる機会を設けるというのが
今回のオフのメインであったと思っています。
ネットクイズの世界では、普段、みんなは一人ひとりPCの前で
孤独な戦いを続けています。オンラインであり、オフラインであり、
様々な気持ちが渦巻く中で、笑ったり、泣いたり、喜んだり、悲しんだりと
一喜一憂する日々を過ごしているわけです。
たとえば、青森の奥地に住むくげさまが関西に出てくるときというのは
交通費だけでもいくらかかっているのかというレベルです。
同じことは仙台のひでぽんさんやthomaくん、そして今回は首都圏から
hくんやヤマハンくん、新潟からはさっとん。
中京圏からぱんださん、観夏さん、ヤンマーさん、中四国から番長さん、
だいちゃん、コサックくんともう多岐にわたる人々が来てくださいました。
それも、表向きはじゃすみい邸を片づけるという
ただそれだけのために(w
(オフ会は付随的なものでしたからね)
正直、このつながりはずっと大切にしたいな、と思っています。
心地よい空間が出来たな、と思っています。
私自身は病をおしてでも、行って良かったなと思っています。
幹事は1回限りのつもりでした。
うちのいもーとがエンディングであんなことをいうまでは。
さっと。「えー、次回開催は来年の1月となっております(^▽^)」
その時の動画が、今、私の手元にあります。
代表幹事・副幹事・名誉幹事はその瞬間、(⌒▽⌒)と笑っていたのです。
そして、ひでぽんさんがまわしてくださったカメラに映るみんなも(⌒▽⌒)と
笑っていたのです。
前日から、そうだったんです。
幹事や企画担当者にいたっては前々日からそうだったんです。
祭りの前の高揚感。
みんな、ずっと何かのスイッチが入ったかのように、笑いっぱなしでした。
PC前での孤独感が、同じものを趣味とする「連帯感」に変質した瞬間だと
私に思わせる瞬間でした。
最後、締めの挨拶をしているとき、私はずっと泣きそうでした。
ことばに詰まりそうにもなりました。
でも、なるべくそういう姿を見せないようにして、平然を装いました。
きっと、私がいちばん、そういう連帯感を求めていたのかも知れません。
そして、それがいちばん実感できる立場にいたのかも知れません。
そういう変な物の押しつけにはしたくなかったのですが、
なんだかそれを強く思わざるを得ませんでした。
わたしの隣にさっとんとくげさまがいて、前にみんながいる。
プロのみなさんが持ち味を出して、それをみんなでツッコンで、笑って。
早押しに手がしびれて、脳をフル回転させて、そして楽しむ。
隠し味のじゃすさまのしょんぼりまで含めて、これが
「関西ネットクイズ愛好会」なんだと。
そのあと、ラーメン屋さんで打ち上げ。
ビールをしこたま呑む仙台勢。
そんなめんばーに囲まれたhくんやヤマハンくん。
そして、今後の人生をどうするのか、ということを真剣に
話し合っていた私とくりすん(苦笑)。
いやはや、これはこれで生々しかったです(w
ぱんださんと観夏さんはここでお別れ。
二人が最後に私に言った一言が今でも忘れられません。
「一日足りませんでした(^▽^)」。
幹事一同からすればこれ以上ないくらいのおことばでした。
ゲームセンターの前で、ヤマハンくん・hくん・
番長さん・私・池藤くんの5人でまじめなはなし。
若い世代とのつながりは今後も大切にしたいものです。
ヤマハンくんをなんばへと送り出して、みんなでホテルへ帰還。
ヤマハンくんもhくんも学業とクイズの両立を
がんばってほしいな、と。
(せんせーらしい発言を一つ。ちなみに私は
そんなこと、学生時代は出来ませんでした(゜▽、゜))
ド素人は卒業、初心者卒業は、なるべく早くがんばってね。
かさいねぇさんともども、初心者から「本格派」の襲名式を
やりたいものです。
hくんは実力は十分あるので、あとはタイミング一つでしょうね。
全体的に指が遅いネットクイズ屋メンバーに指で負けなければ
かなり戦えるはずです。私はE駒くん企画の時に
「ジャイアントキリング」されないかと冷や冷やしてました(汗)。
ホテルにて。
その日の夜、マッサージチェアで「ぁぅぁぅっ」と
次々に悶えるみんな(くげさま・番長さんなど)をみながら、
ぼんやりと様々な思いに浸っていました。
この日は痛み止めの必要がない一日でした。
いや、そういうものを考える必要がないぐらいの日だったの
かもしれません。それぐらいの日だったのです。
夜は夜で、ひでぽんさん企画とくげさま企画。
さらに、さっと問題とでぃーど。問題の供養。
さらにさらに、hくん問い読みのフリバが夜が明けるまで続いていました。
神はずっと、舞い降り続けていました。
笑いの神様と、薄い確率を見せ続けてくれる女神さまが。
時が永遠に続けばいいのに、という感覚が
みんなに永遠に残っているかのように。
大阪の地にたくさん舞い降りてくれていたように思います。
あれから1ヶ月経ちました。
まだ、その余韻が残り続けています。
thomaくんは日記で「できればずっと現実に戻りたくない、
時間が止まってほしい、それぐらいの気持ちです。」
と記していました。
ぱんださんは同じく日記で「でまぁ、
このオフ会に参加して、やはりサイトを続けたい
思いが相当強くなりまして。」という風に、
サイト続行の意志を固める一つのきっかけとなったようです。
幹事一同、大きくガッツポーズでしたヽ(  ̄▽ ̄)ノ
みんなをつなぐのが私の役目です。
そんな風に今は思っています。
楽しいから、というものだけでは
すまされない何かをまた味わいたいな、と思っています。
でも、本音を言わせてもらえば・・・
こんな集まり、一回きりで終わらせられるわけないじゃないか。
そこでひとこと。
また、やるよっ。
次は来年の2月アタマに。
今回来られなかったメンバーのネームプレートと
ふとんを用意してまた、待ちかまえようと思います。
今回来ることを予定していたのに来られなかった
らっとんの分のネームプレートはそのまま
おいてあります。次は大丈夫だよね?
オフの間、くげさまはずっとSAKUさんのことを
気にかけていました。やっぱり、かつてのことは
トラウマになっているようです(w
SAKUさんは今、ものすごく忙しいモードの
ようですが、いつかまた落ち着いたら来てくれると
思っています。それまではずっとやり続けますよ。
「SAKUさん一家が実はこのホテルに泊まっている」
「ビンカン!」
ってやれる日まで(゜▽、゜)。
ぱんださん。
今回は、ぱんださんと観夏さんが来るから、という
理由で参加を表明していたメンバーも何名かいました。
観夏さんにはボケ職人枠的な役割を本人の意識に
構わずともお願いする形になりましたが、私自身は
「名古屋にもこういうのがほしいなぁ」とおっしゃった
ぱんださんのことばを噛みしめつつ、
「ないからこそ、こっちでまた楽しんでくださいね(^▽^)」
って言っておこうと思います。サイト続行の決定も
ありますが、
「次回ありましたら、できるだけ参加しようと思います。
本当にありがとうございました、そしてお疲れ様でした(^^
そして大事なこと。これからもよろしくお願いします(^^」
この3文もとてもうれしく思えたものです。はいっ。
ちなみに、だいちゃんはだいちゃん企画でぱんださんが
優勝、となったときにガッツポーズしてました(w
ヤンマーさん・観夏さん・ぱんださんなど中京勢が
次も来てくださると信じております。はい。
そして。
ヘキサゴンでペーパー問題を協力していただいたみなさん、
本当にありがとうございました。正答率、並びにボケ解答は
近日中に、だいちゃんが製作する予定の
「関西ネットクイズ愛好会」HPに
昔懐かしのじゃすさまの「ヘキサ10」方式で
掲載する予定です(w
さらに、「あの日生まれた言霊たち」も
まもなく完成します(w といいますか、現時点でも
すでにとんでもないサイズになってます(汗)。
また、今回参加いただいた皆さんには
動画の編集が完了次第、あるサイトにてその動画を
公開します。(すでに静止画は公開していますが(゜▽、゜))
動画をばりばり編集して、
「じゃすみい邸・大清掃!劇的ビフォーアフター」
「関西ネットクイズ愛好会旗揚げ前夜祭」
「関西ネットクイズ愛好会旗揚げ&解散コンサート」
「関西ネットクイズ愛好会旗揚げ後夜祭」
の4本立てで、必ず日の目を見させたいなと思ってます。
副音声は、まぁ、考えます(w
今回は各方面から、たくさんの声をいただきました。
「次回は参加したい」というみなさん。
腕とネタを磨いておいてください。
空気が読める人なら、私たちは拒みません。
ただし、みんなで前向きに事を運びたいな、
とは思っています。奇妙な一体感しか在りませんけれど(w
せんせー、と呼ばれる人が何人かいますから、
そこらへんはうちの団体はキビシイかもしれませんよ(^▽^)
あ、そうそう。
次回は掃除はないと思いたいです、はい(笑)。
でぃーど。邸掃除オフは絶対にさせませんからね(w
今や、丸まってすぴーすぴー、と寝るのが特徴の
さっとんが寝られるスペースすらもありません(爆)
以上のように、
関西ネットクイズ愛好会は正式に発動しました。
一度解散しましたが、もう、副幹事さっとんは
某オープンの所属をそれにして活動しています(w
NEXT。
今の我々にあるのは、それだけです。
次も、その次も。
日々、毎回、やれるだけのことはやりたい。
そして、私には新たな夢が出来ました。
いつか、関東上陸の東上戦をやれたら、と思います。
部屋の中に階段がある、
多人数が泊まれるホテルが見つかったならば(w
大量の衣装とさっとんとじゃすさまを連れて
東京遠征します。いつか、必ず。
今回は本当にありがとうございました。
DVDは完成してからさわりの部分だけ
YOUTUBEとかに載せたいですね(゜▽、゜)
くげさま企画で、異常に揃ったビリーの動きをしている
じゃすみい&池藤くんコンビの動画をみながら。
関西ネットクイズ愛好会・代表幹事 でぃーど。
by banijya
| 2007-09-25 02:16
| ネットクイズよもやま話