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ネットクイズ界を縦横無尽に駆け抜けるでぃーどせんせー、と呼ばれてます。最近は上の写真のようにクイズやったり文章書いたりしてます。ページをwoman.exciteに移したいなぁと。コメントはご自由にどうぞ。


by banijya
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「線引き」の曖昧さはどこまで許されるの?

ひさびさにバベボの掲示板見てたんで、
ちょっと以前言ってたものを書き進めておくことにします。

「3.終了時刻の目安」について。

正直、これが今の私の「参加/不参加」の境界線に
なっている部分はあります。チャットクイズに限定された話に
なりますが、翌日にも仕事が存在する職業を選んでしまっている以上、
これはとても大切なことだと思います。
(遅刻は出来ない。寝過ごせない)
でもこれは主催者側のさじ加減一つでどうにでもなる、
というのはあると思います。
私自身の経験からすれば、「~○○時○○分まで」って
書いてあるのなら、最後までは参加して欲しいなぁと
思ってしまうのですが、これは「主催者」としてのわがままに
なってしまうのでしょうね、きっと。
お願いですから、まもってくださいな。
そして、最後までいてくださいな。
夜クイラストの奈良優駿は結構、さみしかったです(苦笑)。

「4.内輪の許される限界」
ばべぼの掲示板見てる限り、これの許される範囲はバラバラ
なんですよね。これは純粋に「クイズ」を「楽しむのか」、それとも
「チャット」を楽しむのかの範囲が人によってまちまちだから
に依拠してると思うんですよ。
ここで、nighterさんや水瀬さんが書くように
「クイズ中ぐらいネタを言うのはがまんしろ」というやや「強硬的」な姿勢も
あり、だとは思います。でも、正直な話。それは司会者の世界観に
「全て」沿っていると言えるのでしょうか。そこまで「企画書」に込めなけ
ればならない、というところまで、ネットクイズ界はきているのでしょうか。
私の結論は「コミュニケーション重視なら、多少の発言は許されないと
いけないが、ネタを多用するひとに対してだけ目くじらを立てる
向きはおかしい」です。極端な話、クイズだけを楽しむんだったら、
そういうゲームで「一人で」遊んでいたらいいわけです。
そういう文脈において、チャットクイズが存在する意義は「周囲との
コミュニケーションが生まれる可能性があるから」だと思います。
コミュニケーションをとるために、「ネタ」を出している、それがその人の
選んだ「手段」なのだとしたら、それは受け入れるだけの寛容さを
持たなければならないかと考えています。(まぁ、おしつけがましいのは
確かにいやですけどね。そういう心理的側面を抜きにしても正解・
不正解に対する反応や、軽めのコメントはあってしかるべきだと思います)
人に対して、自分のことしかしゃべってない、っていう風にしか
とらえないのはますます初心者を排除する方向にベクトルが向きますし、
裏面的に内輪化の傾向をますます強めていくと思われます。
チャット内で自分の色を出そうとしてるのなら、それを優しく見守るべき
でしょうし(若い人ほど顕著。2ちゃんだったら「厨房」とか言って
非難される対象なのかもしれませんが、みなさん大人になりましょう。)、
それがキャラクター化したら(本人がいやがらないのなら)、積極的に
使っていってあげるべきかなぁと。
(例えば、じゃすみい店長やくりすんの「うそくさい」、じゅにちんさんの
(^▽^)、いつの間にか浸透してしまったでぃーどのヽ(  ̄▽ ̄)ノとか)
それが、内輪になりすぎないようにする。
……って言うのが次のお題でしたね(笑)。

内輪ネタの誘導。
司会者って、「全ての参加者にスポットライトを当てるのが仕事」だと
私は思っています。<福留さんの影響からか何かは分かりませんけど。
その手段としてなら、私はありだと思うんですよ。
早押しクイズなど、あまり押せない(答えられない)展開になっている
人がいるなら励ます意味でもなおさら必要なはずです。
そして、仲間うちの場合。
内輪だけでしゃべる展開ってどうしてもあると思います。
これはきっと避けられません。周りが付いていけない状況は
どんな時でも起こるはずです。それにまで周りがいちいち指摘などを
していると、何時間あっても企画が終わりません。
(くげさんの初期のチャットクイズってとんでもない時間かかってた、
って話を確か聞いたことがあるような・・・)

だからこそ、「流す勇気」が必要だと思います。
司会者は
内輪ネタを「流す(相手を励ます/参加者の会話を斬る=出題)」
感覚での企画運営を。
参加者は内輪ネタを
「流す(心で笑う/奮起の起点にする/次の問題に備える)」
という感覚での企画参加を。
新規参入者はきっと内輪ネタを
「流す(理解しない/気にしない/クイズに集中)」
という感覚でとらえているはずなのですから。
(→でも、私自身、この考え方は少し都合のいい考えだとは自覚してます)

それぞれ、
その立場立場に応じても
場面を変えてもそれらの境界線は曖昧であっていいと思っています。
ただ、それがその場面に応じてうまく演じきれるのであれば。
(役者みたいなこと言ってますね。でも、場面に応じて適材適所に
動けないと(発言できないと)だめだと思ってます。それこそが
ことばのキャッチボール(@小森まなみさん)、チャットなのですから)

もちろん、公正な立場で司会者は企画運営もできます。
でも、私は浪花節的かもしれませんが、「一問に笑い、一問に泣く」
クイズを演出するのなら、軽めの感情移入があって
しかるべきだと考えています。
それが、NPCを相手としていない「人間相手の」「チャットクイズ」の姿
だと信じているのです。
冷たい司会って、クイズを続けようとする気力も失われてしまうような
気がするのは私だけでしょうか?(ばべぼ見てるとそういうディレクション
を望んでいる方が多いような気がしますが。わたしって甘い?)
少なくとも「おもしろさ/楽しさ」を感じられないような気がするんですよね。
クイズに強かったら、そういうものでも楽しいのかも知れませんけど、
チャットクイズの主体ともいうべき、早押しクイズにめっぽう弱い私
(指がとにかく遅い)にはまだ、その感覚は到底理解できません。

私の理想は児玉清さん風に「立ってしまわれた/他の方もがんばる」
などなど励まし・解説を言いつつ司会するパターンと、福留功男さん風に
ユーモアたっぷりに世界を演出するパターンの合成です。

だから主体性がないのかなぁ_| ̄|○ 。

難しいです。明日また、まとまったらちょっと加筆修正します。

というわけで加筆修正。
じゃすみい店長の日記で書かれてましたのでそれに対するリプライを。
じゃす様が言うようにほんの数十秒、司会者の動きが止まるんですよね。
どうしても、次問の準備や得点計算の管理などで、一人での処理の
限界はあります。その合間を見計らって発言、それがTPOをわきまえて
いるものだったらいいんですけどね。

そうじゃないケースが目立つのだとしたら、やっぱりイヤなんだろうなぁと。
どうなんでしょうねぇ。許容範囲って人それぞれなんで難しいところです。
by banijya | 2004-09-30 02:08 | でぃーどん天幕團